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人探しに協力すること

mimimarutaro 様
あざらしサラダ 様

こんばんわです。コメント嬉しく思います。
3/26にリンク元の方が写真の掲載を止められたようですので、それに伴い私も写真を削除しました。しかし、これによりあっしの判断が間違えであった可能性が高くなったような気がしてます。mimimarutaro 様が言われている通り、協力されている方の意思が見えないのも原因ですが、それよりもリンク元の方の意思が見えないことに問題があるように思います。私が協力を決めた理由の一つがリンク元に写真が掲載されていたことです。そこからリンク元の方の本気が感じられました。それを無視することができなかったので私は協力しました。しかしながら、3/26リンク元の方は写真を削除されました。私は別に写真の削除が悪いと言っているわけではありません。リンク元の方がいろいろな方からの意見を聞き判断した結果として、掲載を止められたのですから必要な措置なのだとは思います。ただこの場合、是正が利く、効くと考えて良いものでしょうか。。もっと言うと、これは簡単に是正が、というより修正が?許されて良いことでしょうか。

・・・今回はさほど問題は無いかも知れません。でも、たまたま今回はそうだっただけなのではないでしょうか。私は「個人の判断で写真を掲載し、助力、力を求め、それが叶い、その後に判断が誤りであったことがわかり是正し、写真を削除する」こういう力が、こういう流れが、これが許されるという考え方が非常に危険だと思います。今回に関して言えば、私も間違えた力を振るってしまったような気がします。とても反省してます。ただ、こういう力が良い方向に働いた場合までは否定したくないです。それが私の思いです。これまで否定してしまうと、参加型や双方向の考え方の全てを否定してしまうような気がしてしまいます。

今回、リンク元の方が写真の掲載を止めなければ、私は反省まではしなかったと思います。良いことをした とはもちろん思えませんが、悪いとも言えなかったと思います。でも、安易に間違った力が振るえるこの環境を肯定するのは私の中では難しくなりました。力をふるう人、一人一人が何の覚悟も持たない状況でこれだけの力を行使できる環境を肯定するのは困難です。しかし、覚悟を持たせる方法は色々あるでしょう。簡単なところであれば実名の掲示を義務付ける というのもありだと思います。ネットの特性を殺すわけです。・・・もちろん、こんなことが正しいわけありません。

すこし前に はてな と ライブドア でそれぞれ違う方法でこういうのネットの現状に取り組もうとしていた動きがありました。ライブドア はちょい違いますが。確か はてな は情報公開を ライブドア は権利の委譲?(厳密には違いますが)をユーザーに求めていたと思います。私はこの時に どちらも嫌だ と発言しました。また でも、どちらも嫌だというのは何かズルい とも発言しました。こういう件があると今まで以上にズルい(実際には違いますが、一言で思いを込めるとこうなります) と思ってしまいます。この部分を修正する方策がなければ、ネットを用いた 双方向 参加型 を全面的に肯定するのは危険過ぎます。もちろん、ほとんどの方はこの問題に気付かれていると思います。それならば、そこまで心配することではないかも知れません。でも、これからネット、もしくは既存メディアを主軸としたネット環境が一般的になっていくにあたり、万人(現在、TV等、ネットよりも簡易に情報を取得できるメディアを利用している方)が情報の受発信を行えるようになった場合に、たとえ少数派であったとしてもその環境を全面肯定する方がいれば、それだけで危険なことではないでしょうか。

今日、私は知り合いに一つの質問をしました。今後、現在の状況(キーボード、マウス等のインターフェイスを用いてPCを扱う状況)が続いたとして、子供さんがPCを扱えるようになる年齢はどれくらいか と。知り合いの答えは 小学1年生くらい との答えでした。私としては現在の環境であれば、小学3年くらいだと思っていたのですが、 幼い頃からその環境に置かれれば、それくらいで使えるようになる と言われました。英語にしてもそうでしょ。 と。ああ、そうかもな と思いました。これは飽く迄、現在の状況が続いた場合のことです。この環境が変わり、万人が簡易、容易に情報の受発信を行えるようになった場合、3歳頃からネットの環境に身をおくことも考えられます。そうなってくれば当然、現在のネット人口とは比べものにならなくなります。その現在とは比べものにならない環境で 双方向 参加型 を全面的に肯定する少数派を無視できるか。無視して良いか。例え少数派であっても、そう考える人が居る そのこと自体が危険な気がしてなりません。

また、私自身、その予備軍にあることを今回の件で思い知らされたような気がします。誰かの一言で (監視の)目が起きる そういう世の中に対する認識がまだまだまだまだまだまだ甘いのだと思います。

ある一つの記事があったとして、それに対して誰かが意見を言い、また誰かが反対意見を言い、最終的に何かを思うのは情報の受信者でその正否を判断するのも受信者で。今までTV等により情報受信するだけの楽を味わっていた私のような輩が簡単に正を得られるのかどうか。・・・ある一つの商品があったとして、誰か知らないどこかの人が悪い評判をたて、それを支持する人がいて、確かにある点には問題があるのも事実、しかしそれを誇張するあまりに、多くの良い点が隠されてしまう。そういうこともあり得る。ある会社がある。日頃からとても評判の良い会社だ。ただ一つのちょっとしたミスをしてしまい。本当に些細な。とある一人のいいがかりのようなクレームからそれを支持する人が多く現れ、情報は誇張され、会社の評判は地の底に落ち、事業縮小をする羽目に。ある一人の人がいる。町でも有名な正直者。その人が些細な本当に些細な嘘をついて、その些細な嘘によりある人の心が傷つけられ、そのこと(自分がどれだけ傷付けられたか)を誇張し情報を流布する。それを支持するひとが正直者を非難する。嘘を付いたことは事実。しかし、実際には本当に些細な嘘でもそれは見えない。いつしか誇張された情報こそが正となってしまうかも知れない。

このような事象すべてにおいて

後から情報に誤りがあったことが発覚する。是正が利くものか?全てが元に戻るか?謝罪すれば正せる事柄か。

※ 以下の メディア は TV等の媒体としてのメディアではなく、TV等における報道 のことです。

・・・私はこういう社会が怖いのです。おそらくそのほとんどは私の妄想だと思います。でも可能性は0ではないと思います。参加型 双方向 その環境を望まれる方であれば、こういう事柄を踏まえた方策を考えるのは急務なのではないでしょうか。情報の正否を追求する機関も必要かも知れません。得られた正の情報を大いなる責任を持って、正として大衆に発信する機関も必要かも知れません。これらは既存のメディアでもやろうと思えばできることであると思います。それこそが今後、既存のメディアに求められていることではないでしょうか。あざらしサラダ様の新規記事を読み、改めてそう思いました。

今回、行方不明の娘さん探しに協力するにあたり、私は知り合いに意見を求めました。 勝手にやればって感じ と言われました。奴の名誉の為に補足しておきますと、考えなく発言したものでは無いです。私が伝えた情報から判断した結果の返答です。即刻この返答ができるのが凄いと思いますが。私は奴には一生かなわんでしょう。いろいろ。これはある意味正しいと思います。リンク元の写真が取り下げられていない時点では どちらとも言えない という思いが正しい反応だと私は思います。ですが、私は協力を選びました。今の状況を考えると

問題ある やや問題がある どちらとも言えない やや良い 良い

やや問題がある に当たる行為であったと思います。この件に関してはこれからも悩みたいと思います。参加型 双方向 その考え方の全ては否定したくないですから。・・・行方不明の娘さん探しのエントリーは日付を戻します。


追記:あざらしサラダ様へ

こんな内容ですがトラックバックして良いですか? 少し内容が外れるような気がするので。
良ければ現在投稿されている記事【メディアの公共性について考える(2)】にTBさせていただきたいと思います。
by zetumu | 2005-03-27 02:01 | 一言いろいろ
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