公共性

ライブドア メディア観が問われる ※日付が変わったことによりリンクズレしてたので、3/24に修正しました。

記事内容からでは何をもって「公共性」と言いたいのかがあっしには読み取れません。なんでだろ。現メディアに公共性があるとは思えないからなんかなあ。

記事にある「本当に大事な情報はだれでも拾えるように転がっているわけでもない。損得を度外視しても真実を追求する気概と努力によって情報は発掘される」 ってのには同意。でも「メディアは情報を取捨選択せず流せばよい。判断は国民がする」 って方向性にも賛成。両方に賛成でも間違えてないと思うのだけれども、どうだろう。

「ただ流せばよい」ってのは問題だけれども「取捨選択せず」ってのは必要だと思う。記事にある言葉を勝手に借りるならば「損得を度外視しても真実を追求する気概と努力によって発掘される情報を取捨選択せず流せばよい」ってのがあっしの理想。現在のところ、難しいと思うけれども。今後は叶うかも知らん。ポイントは「発掘」の考え方かなあ。

数々の嘘から真を見出す。その過程でいらん情報を捨てていく ってのが記事に使われている「発掘」だとおもう。あっしが言ってる「発掘」は掘り下げる感じ。真実を、真実であると思う根拠をとことん掘り下げていく感じ。ここいらへんはあっしの性格もあるとおもうのだけれども。あっしが既存のメディアに期待してるのはここのとこ。

複数の情報から真を見出すような篩にかける役でなしに、篩にかけられた後の情報からその根拠をとことん掘り下げていく役目。こういうのを既存メディアでやってもらいたい。要は民の足代わりをやってもらいたい ってことなんだと思う。篩にかけるのが一般大衆でそこから抽出された情報の真偽を確かめ明確に示すのが既存のメディア。そういう構図。一次情報の提示に関してはどう足掻いても一般大衆ではジャーナリストの方々を抱える既存のメディアにかなわんと思うし。そういう民の足であってこそ、公共財、公共性のあるメディアと言えるんでないかな。なので、あっしは既存メディアも必要だと考えます。
・・・監視社会は嫌だけどねええ。そう考えるとこの考え方も問題かなああ。
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by zetumu | 2005-03-23 15:49 | 一言いろいろ
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