この間の朝生から

先週末の「朝まで生テレビ」は久々に最後まで見ました。話題が話題だったし。わりと面白かった。中でもなるほどなあ と思わされたのが、宮崎哲弥 氏の一言。正確には覚えてないので概要だけ抽出。

自身を形作っている要因をすっ飛ばして、個人(個性)ばかりを主張する

確かそんなようなこと。テレビ見ながら首を縦に振ってました。考えてみれば単独の個人なんてありえないわけで。公共性(ここでは国でなく民の)なくして個性なんぞありえない。なのに個性ばかりを主張する。って感じでしょうか。自分がどんなものに影響を受けてきたか省みてみるのも良いかも知れない。きっとそれが自身の個性なんだろうと思う。でないと、自身の個性なんぞ自身で判断できるとは思えないっす。実はこれ。あっしのような駄目大人にこそ必要なことだったりする。

あっしの場合、個人(個性)を主張しようとはさほど思わない。普段は。ブログではいろいろ書いてるけれども、普段はもっぱら聴き手だったりする。これはこれで問題があるんじゃないかと、少し思うようになってきた。個人(個性)は主張できなければならないんじゃないかと。但し、自身を形作っている要因を考慮した上で。どっちが欠けてても駄目。欠けるとあっしのような駄目大人になる。

あっしの場合、個の立ち位置が定まってないので、とりあえず逆行?(世の)流れに逆らおうとする傾向がある。良いか悪いかはともかく、これでは前に進めないのだろうね。当分は治らないだろうけれども。望ましいのは基点を変えずに流れに乗る?合わす?ことなんじゃないかな。あっしの知り合いは多分こっちなんだろう。この間、知り合いに「(君は)大状況と格闘することを避け続けているだけなんだよ」と言われた。ええ。思いっきり凹みました。またもブログ書くの止めようかと思いました。本人はそこまで影響与えるとは思ってないでしょうが。

知り合いが言ったこと全てを肯定したくは無いですが、的外れではないです。的には当たってるような気がします。あっし自身、避けてるつもりはありませんが、逆行しかしてないですから。少しでも「病んでる」と思った事象に対しては逆らうことしか考えてませんし。きっと。その状況に合わせながら改善しようとか、そんな風には考えもしない。そういうとこから考えるに的には当たってます。ただ、正確に的の中央を射ているかというとそうは思えません。「逆らう」のと「避ける」のとでは違うんじゃあないかと。・・・同じとか言われそうですが。

追記: 知り合いへ
勧善懲悪の話に関してですが、あっしは別段「わかりやすい勧善懲悪」が良いと言っているわけではありません。「善」の基準も「悪」の基準も一切もってないような幼い時分から「わかりにくい勧善懲悪」を見て、子供さんが育ってくことに懐疑的なだけです。自身の中に(正しかろうが間違ってようが)「善」「悪」の基準をもってる状態であれば「わかりにくい勧善懲悪」を見てもさほど問題はないかと思います。でも「善」「悪」を判断する基準も持ち合わせていない状態で「わかりにくい勧善懲悪」しか見れない状況はよろしくないと思う。これがフィクションに逃げているだけだと言われるとそれまでだけれども。いまいち、どうしてそう思われるのかがようわからない。まあ、結局のところ、まだ何もわかっちゃいないってことなんだろうとは思うけれども。
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by zetumu | 2005-01-31 15:31 | 一言いろいろ
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